モラトリアム社会人

日常の拡大が非日常を生み出すのだろうか。

SNS向いてない。

「みんな違って、どうでもいい」

マイノリティを慮ることは決して優遇することではなく、冷遇しないことであると同氏は言う。マイノリティを優遇することでマジョリティが不遇を被るのはごめんだとも。
また同氏はマイノリティに対する支援として無碍に扱わないこととしている。


マイノリティの求める支援とはなにか。
マイノリティが苦しんでいるのは、そのマイノリティさ自体が持つ不都合さもそうだが孤立に対してであることが多い。

現代社会において人は権利と自由を主張し、個人主義は加速していく。権利や自由というある種檻からの解放は、社会への帰属意識を希薄にし孤立を招くことに繋がることもある。そして社会からの支援も行き届きにくくなる。
権利と自由を良いものだらけだと思っているならば、欠点にも目を向けてもらいたい。

そしてまさにこの社会は孤立に関する支援について弱い。なぜなら社会の構成員の社会への帰属意識が低いからである。
マイノリティさは社会ではどうしても浮いてしまう。
生活保護が制度として欠陥なのは金銭面で援助できていても社会的に浮くことが解決出来ない部分である。同じくマイノリティへの支援としてマイノリティさの部分に目を瞑るという行動は孤立の助長であり、解決にならない。

人間は様々な形で差異を認めることが出来る。時に性別であり、時に生まれであり、時に身体である。
これらの違いで考え方や立場が異なってくることはごく自然なことであり、取るべき行動は区別である。
区別とは、考え方や立場の相違を認め尊重することである。
平等とは、考え方や立場の相違を擦り合わせていくことである。
差別とは、考え方や立場や相違を尊重しないことである。

考え方や立場が異なることは仕方の無いことである。その部分を無理に合わせようとすると綻びが生まれることは言うまでもない。故に平等は成立しない。

マイノリティのマイノリティさの部分を認め、彼らが出来ることを尊重する。そして同じ社会の構成員として帰属意識を持ち、孤立が起きないようにする。

「みんな違ってみんないい」

これが現状求める支援である。

そういう意味ではディストピア小説の方が余程ユートピアである。
貢献できる部分でしっかり社会に役割を持ち、不満を解消するシステム(もしくは不満がたまらないようなシステム)を持ち、満足した生活を送れている。
それでもディストピアに見えるのは、そのシステムに馴染んでいないだけの話である。その世界の教育を受け、その世界のシステムに浸かれば満足した生活が送れる。

脱線したが、こういう思想のもと個人主義についてとやかく口出ししたくなってしまう僕にはSNSは向いていない。

してはいけないこの世の見方

僕は追い詰められて脳の容量がパンクし始めると、過去を思い出して思想に縋り続けるような形でブログを記したくなるようです。働いたあとの少しの暇に、働いている時以上の苦痛があるということをひしひしと感じます。
そんな仕事終わりの暇はよくアニメなどを見て色々な形の青春を感じ、慰めてもらっていました。その薔薇色は心に刺さり穏やかな気持ちで見ることは出来ませんが。

本題ですが、僕は高校生の時に友人と思想について討論する機会がありました。その時には自分が抱いていてここに至るまで、また至っても全く間違いが分からなかったそして救いようのなかった理論を提唱していました。
今回はそれを打ち砕いてくれる本があるとの事で紹介をいただいたので、整理しておこうという意味でここに書いておこうという次第です。

意思制御範囲

変なことを聞くようで恐縮ですが、このブログの読者の方々は自分の身体を自分の意思で動かしているのでしょうか。
今、この文章を読もうと思ったのは自分の意思でしょうか。
そうである、という答えが妥当に見えます。

では、宇宙で起きているありとあらゆる自然現象に意思はあるのでしょうか。
例えば天災に意思があるとすれば、いささか残酷で恨みたくなるはずです。
しかしもし意思がないのだとしたら、人間の思考行動あらゆる活動に意思が介在すると言えるのはいささか傲慢が過ぎるのではないかとも思うのです。

おそらく意思を持ち、ある程度の自由度を持って活動が出来るのが人間なのかなと思います。それは心理学をもってしても掌握しきれず今のところアルゴリズム的に説明のつくものでは無いようですが。
しかし他の自然現象が科学による理詰めをもって説明出来ようとしている最中、人間は特権的に科学による理詰めから離れた自由を持っているのでしょうか。

そう思うのであれば僕はこれを傲慢だと思います。僕は人間の自由度のあるように見える活動も、他の事象と同じく実はシステムによって予め決定づけられているのでは無いかと考えています。

システム的な創造神とシステムによる結果

システムと言うからにはそれを設定するような役が必要で、それを万能者という観点からシステム創造神という呼び方をしてみます。

とりあえず高校生当時語ったであろうことを書いておきましょう。

システム創造神はもちろんこの世の全てのシステムを掌握しているので、この世を創造することが可能である。この世を創造している存在、つまりこの世のシステム創造神とは(少なくとも我々に関するところでは)創造主のことであり、(少なくとも我々にとっては)万能でなければならない。

あらゆる事象と認識された出来事はシステム上は事象とは呼べず結果でもなく有価値でもない。
人間の認識すらシステムの一部でしかなく、それ故にシステム全容を知ることは出来ない。

こんなところだったと思います。

つまり事象の全てをシステム創造神に丸投げした、ということです。
自分たちがシステムに囚われていること、それをゲームの中のNPCとシステムを作るゲームマスターになぞらえて、この理論のことを「ゲームマスター理論」と命名していたのを覚えています。

問題点

もしかしたら色々あるのかも知れませんが、この理論の一番の問題点はその正誤に関わらず救いようのない点にあると思っています。
この理論に基づいてしまうと全ての事象に関して意味がなくなります。因果性もなくなります。
そうすると自分が認識した全ての事象に関して他人事になってしまい、目的を作ることが出来なくなってしまいます。
ハナから停滞しているという理論の提唱なので、そういう意味で救いようがないという話です。

さいごに

今も自分はこの理屈にかなり引っ張られて生きています。
そのため、どこか自分の人生が他人事な節があります。そして無意味なものだとも感じています。
そのために、自分のやることなすことは全て自分にとっては偽善にすぎないとも思っています。
しかし幸い今生きているのは、自分がこの理論を他人に押し付けず、またこの理論を持ち合わせておらず自分の偽善を善と思ってくれる方のおかげだと思っています。

ここまで拙い理論を見てくださった方、ありがとうございました。

読書記録 町田そのこ 『蛍たちの祈り』


出会い

名前が気になった小説『月とアマリリス』の隣に置いてあった本です。隣にあるということで著者は同じ町田そのこさんです。こっちも誕プレで頂いたのでそのうち読みます。
単純に隣に置いてあったのと「居場所を探し続ける人々をあたたかく照らす」小説ということで選びました。

あらすじ

蛍が舞う夜――山間にある小さな町に暮らす中学生の坂邑幸恵と桐生隆之は、どうしようもない状況に追い込まれ、互いの罪を隠し合う“共犯者”となった。それから十五年後、大人になった二人が再会したことをきっかけに、二人とその周囲の人生が大きく動き出す。同僚として、友人として、家族として……ぬぐい切れぬ「罪」の記憶に翻弄されながらも、真摯に生きた人々にあたたかなまなざしを注ぐ感動の傑作長編。

長編とはありますが章立てされていて、各章短編として読むことも出来なくは無いです(読書の区切りはしやすい)。メインの登場人物が共通して出てきて時系列順にもなっている(前章のその後が描かれていたりする)ので楽しみポイントではあります。

喋りたいこと喋る欄

この小説のテーマは「親子の形」と「しあわせの形」かなと思っています。

この小説は歪んだ家庭環境が原因で幸せを掴むことが困難な子供が主視点で話がすすむ章で構成されていて、親に問題がありつつもしかし親にも親なりの苦悩があるという形が多い印象でした。
リアルでも一方的に親が悪いというよりはそういうことが多いかなと思います。

そんな子供は子供なりに足掻きつつ、限界を迎え親を殺そうとする描写もあります。それを同じ境遇だった人間に諭され一線を超えないように踏みとどまっていく、そしてその後の幸せを掴むというシナリオだったと思っています。

子供視点で書かれる親はいわゆるクズでありつつも、もっと小さい時は愛されてたという回想、そして「どんな親でも産まれてくる時は子供に対して愛がある」というセリフもあったり、ただただ生い立ちと環境が悪いという書かれ方は決してしていないように思い、そういう視点もあるなと意表を突かれました。親も子供と同じくして夢と希望を描いていたという事実もあるんだなと。

しかし同時に子供が幸せについて考えた時に「親に縛られてたまるか」というニュアンスの表現もあり、子供と親の描いたしあわせの形は往々にしてズレるものでもあるなと思いました。子供の人生なので子供のしあわせの形を尊重すべきとは思います。

養子、養父、養母といった形の親子関係が多いのもこの作品のポイントですね。血縁だけが家族じゃないぞって主張もされていると思います。


もう1つテーマとしてしあわせの形がありました。
作中の人物がいわゆる「普通の生活」を取り戻すことで幸せを掴んでいるわけではないのが、この小説です。
それぞれ苦悩しつつも心身ともに安心出来る環境(居場所)に身を置く事が出来ていれば、これから色々チャレンジも失敗も出来る、そういうのがしあわせの形だと僕は解釈しました。
居場所が人には大事ですね。

最後に

各章で前章のその後について書かれていたり、今の章で突然出てきた登場人物が次の章でフォーカスされたりした後、最後の章で最初の伏線が回収される綺麗な書き方がされています。サスペンスチックな部分もあり、感情を揺さぶられる意味では読みごたえはあります。ただ家族の形やしあわせの形に関しては考えれば考えるほどに難解で、現代社会にも通ずる問題提起となっているような気もします。
暗い展開からだんだん希望のある展開になっていくので最後は感動して涙、みたいなこともあるかも知れません。

ぜひ手に取ってみてください。

マジックから(だいぶ)飛躍して。

8/2(土)に中山道まつりを見に行ってきました。
お神輿であったり踊りであったり、お祭りらしい雰囲気でした。途中で買って食べたかき氷もシロップかけ放題で美味しかったです。




お祭りを楽しんだあとは酒場に入って友人と話をしたりしていました。
1軒目

2軒目

ロックで酒飲むの好きですね。この人。

ここから本題なのですが、2軒目のハイボールバーではマジックを披露してくれるバーテンダー?さんがいらっしゃって運良く生でマジックを見ることが出来ました。

トランプから1枚選んだらサインもらえました。

マジック

マジックですが、最初に「視線誘導を使ったマジックを披露します」と種を晒した上で、こちらが選んだトランプをポケットに移動させたり、はたまたもっと難しそうな後ろポケットの財布の中に移動させたりとまぁ凄かったです。

あとから思うと「視線誘導を使う」と発言したことにより、選んだトランプを注視するようにすでに誘導されていて上手く引っかかったのかも知れません。マジックをよく知らない僕は上手く引っかかりました。

一緒にいた友人Rは多少マジックの心得があるようで、このタイミングでポケットに手が伸びていた、すでにすり変わってた、など若干種が分かっていそうでした。

僕の感想としては、こういうの見せられると
「見ているものが、全て正しいとは限らないよね」
というものでしたが、友人Rとしては
「見ているものが全てとしか言いようがない、ただ視点が違うだけ」
というものでした。なるほどと思いました。

実際僕らは見えているものしか言及できず、今回のマジックにおいても「視線誘導を行う」という種明かしと友人Rから「このタイミングで・・・」という話がなければ、僕の目の前で起きたことは「トランプが移動する奇跡」としか認識できないわけです。

最近思ってたこと

人間色んな人が居ます。年齢、性別、出身地、etc....1人として全て重なることは無いです。そしてどんな人にも長所や短所があります。さらにその長所や短所が育まれてきたのには彼らなりのバックグラウンドがあります。
それが異なれば主義主張が異なることもあり、曖昧な言葉ですが「一般常識」と呼ばれるものから逸れることもあります。

それなのに自分が見ている景色をみんなも見えていると勘違いしていませんか。

「それが見えない奴は変なやつだ」、「何か持ってる」

こんな言葉を投げかけるだけ投げかけていくのはどうなんだろうなと思っています。
安全圏から石を投げるのは人間の性かも知れませんが。
啓蒙するならしっかり啓蒙してあげればいいと僕は思います。

SNSを見て感じてたので何となく日記と併せて書いてみました。

人にとって大事なのは居場所ね。

お題 〜音のない会話〜

「文字単体を読む人はなかなか存在しないだろう」
この文を読む時、おそらく最初の『文』という部分で区切る人は少ないはずだ。そしてこの文の意図するところでもある。
文字の間にも文の間にも空間が存在している。この空間をそれぞれで解釈して相手に伝える。相手も解釈を挟んで理解をする。これが成立していれば会話となる。
初対面の人と話をする時、沈黙が発生してしまうと少し気まずい。そして言葉を弄する。そんな経験はないだろうか。これは相手の解釈の仕方が分からないから相手に解釈の余地を与えないようにしたいという気持ちの表れではないだろうか。
そして相手の行間の使い方、解釈の仕方が分かってきた時、ある程度の沈黙は不安にならなくなる。言葉を弄する必要もなくなる。沈黙が気にならなくなる仲とはそういうものではないかと思う。
実は音のないところにこそ、人の関係性が如実に表れてくるのではないかと、そう思うのである。

2025.5 振り返り

こんにちは。
前回の振り返りは2月でした。
3月4月とサボっていたら知らぬ間に暑さを感じる季節になってきたようです。
当の本人は代謝が著しく悪い状態で、未だに毛布にくるまったりモコモコした服を着たりしています。良い子の皆さんはこうなる前にちゃんと運動しないとダメですよ。僕も運動始めます。

また項目を何個か作って振り返りでもしようと思います。

仕事

暇でした。多分初めて月の残業0分を達成してます。定時退勤最高と捉えるべきか、無能だから仕事振られてないと捉えるべきか悩ましいです。

シャドバ

アプリ版はあまりやりませんでした。
一応アンリミでは絶望ロイヤルがやれるとの話だったので、ロイヤルマスターだけ取りに行きました。
TSローテは好きな環境だったのでグラマスまでやっておきました。以前と違って冥府ネクロが流行っていたので、機械自然ビショを好んで使ってた身からすると少ししんどかったかなくらいです。

エボルヴは少しだけデッキを調整してました。
元々組んでいたセッカエルフにエズディア要素を付け加えたり、横並べウマを作ったり。
他の趣味で忙しくて誰かを誘って対戦したりはしてないです。

デュエマ(紙)

5月になってから周りでやる人が居たことを知ったので始めました。
初心者はプレイングの簡単さから、守りの王道(550円構築済みデッキ)から少しいじって天門を組むのがいいよと言われ、バカ正直に青白ペ天門を組んだらおこづかいがほぼ無くなりました。
後に巨大天門を想定していたと回答をいただきました。そうだよねぇ、高すぎでしょって思ったもん。

Poppin'Party 10周年ライブ

人生で初めてライブに行きました。

ライブに来ていた人の中ではかなりエアプの方だと思ってビクビクしてましたが、セトリがそういう人にも優しい感じで知ってる曲も多かったのと、もともとPoppin'Partyがノリやすい曲が多い?のもあって楽しめました。

ライブで『Returns』聴けて良かったです。もともと好きだったのに、演出が良すぎて涙出ました。斜め前にいたオタクも泣いてました。

僕みたいなエアプにも優しいコール曲
https://youtu.be/_2-CH1mhaE4?si=rVs_Tezguu7OwAHh

また行きたいです。

締め

6月の振り返りはサボらないように頑張ろうと思います。
何か書き続けてないと、出したい言葉が出てこなくなるので。

梅雨はしんどい人も多いかもしれませんが、自分へのご褒美多めにしたりして乗り切りましょう。

ではまた。

お題 〜雨の日の思い出〜

僕の家の横の、駐車場へ向かう道には大きくへこんだ部分がある。
雨が降るとそこには大きな水溜まりができ、小さな子供は少し頑張ろうとして盛大に水溜まりに飛び込んでしまったり、諦めて靴を濡らしながら進んでいる。
かく言う僕もそうだった。親は軽々飛び越えていくのに自分には無理で、飛び込んでは怒られていた。

高校生だった雨の降るある日、僕は持病を診てもらうのに少し遠くの病院に行くために父親に車を出してもらった。
もちろんその大きな水溜まりが出来た道を通る。父は昔のようにその水溜まりを飛び越えようとした。しかし父はあと少しのところで水溜まりを越えることができず、ズボンを濡らしてしまった。
「あれ、こんな大きかったかな」
父はそうこぼした。
「そう?むしろ前より少し小さく感じるけど」
僕は飛び越えながらそう答えた。
「そうかなぁ」
そう言って先に進む父の背中は少し小さく見えた。