モラトリアム社会人

日常の拡大が非日常を生み出すのだろうか。

時間と色(という名の近況報告)

こんにちは。
これは報告だが、私事で社会人を一旦やめたので今はただの無職ということになっている。
この期間が続くことに対しては危機感を少し抱いているため、フリーターには格上げしておきたいと思っている今日この頃。
具体的にどのような危機感なのかという部分が今回の題材である。
早速だが、本題に触れてみよう。

絶対時間と感じる時間

おそらく当然のことだが、時間というものは過ぎていく。またおそらく時間には過去と現在と未来がある。
しかし視点は現在に集約される。
他人の言葉を借りれば、「過去」も「未来」も「現在」というフィルターがかかった状態でしか見ることが出来ない。
個人的には「時間を感じる」とは、過去を振り返った時にその過去にどれだけの虹色と黒色が散りばめられているかに尽きると思う。
これも他人の言葉を借りるが、強烈な色以外は遠近法によって古典になっていき時効となる。つまり忘れ去られる。
過去も現在も、そして未来もきっとその時その時は本気で生きて同じ絶対時間を歩んでいるはずだ。
しかし「過去」も「未来」も「現在」というフィルターにかけられると途端に凝縮される。それで残るのが虹色もしくは黒色だと私は思う。

具体的には

私は高校時代については、語れる部分が多くある。虹色と呼べるそれもあるし、黒色と呼べるそれもある。しかし大学時代に関して語れるものは高校時代に対して少々少ないように感じる。
一般的に高校は3年、大学は4年ある。絶対時間は大学の方が長いのだが、私は高校生活は長かったが、大学生活はあっという間だったと感じている。
時効になって忘れ去られる記憶が多いと、その分絶対時間から忘れ去られた記憶の分の時間が引かれる。そうすると高校時代の方がきっと長いという考え方で一旦自分の中で落ち着いている。

その考えで落ち着くと危機感の正体が見えてくるような気がするが、まずはひとつ補足をする。

人間は何を求めるか

人間は生きる上で何を欲するか。おそらく難しい問いなので具体例から挙げていくのが良いだろう。

  • 何らかの夢を叶えたい(自己実現)。
  • パートナーが欲しい。
  • お金が欲しい。
  • とにかく休暇が欲しい。

他にも色々あるのだろう。自分の考察では色で分けられる。現在から見た短期的な過去や未来はおそらく感じる色としては濃い。それは古典になる前の鮮明な記憶だからだ。
具体例を上から深堀していくと

  • 虹色を求める。
  • 虹色を求める。
  • 虹色を求める、もしくは黒色から脱却したい。
  • 黒色から脱却したい。虹色を求めるための準備がしたい。

のように分類できるように思う。つまり人間は常に虹色を求め、かつ黒色からは逃れたいという解釈が出来ると私は思う。

今までの話を元に危機感の正体を暴きたい。

危機感の正体

ニートが続くことに対する危機感はおそらくだが、

「虹色を求めていないが、黒色にも染まりきらない」

この灰色の快適さにあると思う。

人間は虹色を求めると色々な色を人生という名のキャンバスに塗っていくことになる。絵の具で色々な色を混ぜたらどうなるか。黒色が出来上がる。虹色と黒色は表裏一体である。
灰色は黒と白を混ぜれば作れる。灰色を心地良いと感じる人間は、おそらく要素として黒色を既に持っている。逃げというのは黒色を薄くすることであるから基本的には白色で行うことになるのではないか(または水などの透明色。どちらにせよ白のキャンバスをベースとする以上灰色っぽくなると思う)。よって灰色は逃げの結果ではないかと私は思う。
そして黒色を恐れると虹色を逃す。生きる上で人間が求めるのは虹色である。

自分の人生において虹色を求められない人間はきっといつか振り返った時に何も残っていないだろう。灰色なのだから。灰色は時効によって消えていく。そして絶対時間との比較を通してきっと後悔する。

私はそう感じたからニート期間が長くなることに危機感を覚えている。
とここで初めて言語化できた。

締めとして

まず、比喩が多いことに対して申し訳なく思う。
感覚が私とマッチしない人間はこの話に共感できないからだ。
この話は、危機感を覚えた時に何故かと問うた時に言語化したいという思いで書き始めた。
なので基本的に後付けであり、実際にどうなのかは自分にもまだ分かっていない。しっくりくる部分もあれば、そうでない部分もある。だからどこか間違えている。

いつかその間違いに気付ける日が来ないことを祈っている。
ではまた。